すっぽんと六ペンス

The Suppon and Sixpence

ゲームだけが可能とする新たな表現方法

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TEDでゲームに関する講演を見つけたので紹介します。

www.ted.com

『How video games turn players into storytellers』

 

講演者のデイビット・ケージは、『Detroit: Become Human』を開発したゲームクリエイターです。

過去には『HEAVY RAIN 心の軋むとき』『BEYOND: Two Souls』も開発しています。

 

この講演では、ゲームは新たな表現方法の形だとしています。

プレイヤーがゲームの演出に介入することは、同時にプレイヤーが共演者(The coactor)になるということです。

ちなみに、これは、当ブログでも取り上げています。 具体的には下記の記事です。

lxenta.hatenablog.com

 

この話題になると、僕はいつも『BioShock』というゲームを思い出します。

本作の主人公は、作中一言も発することなく、常に誰かの指示に従って、冒険を進めていきます。

「恐縮だが……してくれないか?(Would you kindly?)」という声に、唯々諾々と応じることが主目的なわけです。

というか、本作に限らず、世の大半のゲームの主目的です。まあ、頼まれ方に違いはありますが。

 

「いや、相手はプログラムなのだから、指示に従わないとゲームが進まないじゃないか」

と思うかもしれません。

しかし、本作の終盤、「実はプログラムされていたのは主人公の側だった」ということが判明します。

主人公の宿敵はこう言います。

「お前(プレイヤー)は人間ではなく奴隷だ。その証拠に、お前は常に誰かの指示に従ってきただろう」

「恐縮だが、ここで私を殺してくれないか?もし自分が奴隷じゃないと言うなら、拒否してみせろ」と。

そして、プレイヤーが彼を殺したとき、敵の言葉が真実だったと、自分自身で証明してしまうのです。

youtu.be

 

主人公すなわちプレイヤーは、常に「指示に従う」という選択をしてきた。

ゲームの特性を逆手に取った演出ですが、これもまたプレイヤーがストーリーに介入した結果だと言えるでしょう。

他方、小説や映画の主人公は、我々の思い通りに動かないことが前提です。

よって、次元を超越した我々が、作中のキャラクターの手のひらの上で踊らされることもありません。

まさにゲームだけが可能とする、新たな表現方法なのです。

栩々然として胡蝶なり

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『ペルソナ』シリーズは、戦闘BGMにボーカル曲を採用することで知られます。

大抵は目黒将司という人が作曲しています。

 

僕は、彼の楽曲の中では「A Lone Prayer」が断トツで好きです。

youtu.be

 

PSP版『ペルソナ』に通常戦闘曲として収録されています。

これを聴きたいがためにわざと戦闘を長引かせたこともあります。

が、世間ではいまいち人気がなく、また、知名度に欠けると言わざるをえません。

 

というのも、本作は『女神異聞録ペルソナ』のリメイクになります。

オリジナル版のファンからすると、「選曲に手を加えた」という一点のみで拒絶反応が起こるようです。

一方、僕はオリジナル版を遊んでいないので、先入観なく評価できたのかもしれません。

 

「A Lone Prayer」は、正確な歌詞が(おそらく)公表されていません。

英詞がかなり聞き取りにくく、現在も解釈が分かれています。

しかし、基本的には「夢か現か」がテーマだと考えてよいでしょう。

 

『ペルソナ』シリーズは一貫して、中国の思想家・荘子の『胡蝶の夢』がテーマになっています。

さらに、本作は第1作目ということもあり、その傾向が顕著です。

 

胡蝶の夢』は、高校の漢文の授業でやるのかな?

書き下し文を載せると、こんな感じです。

昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩々然として胡蝶なり。

自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。

知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。

周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。

荘子胡蝶の夢

詳細な解説は、リンク先のWikipediaに譲ります。

ルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」としばしば対比される命題です。

 

閑話休題

要するに「A Lone Prayer」は、後の作品の曲よりもずっと『ペルソナ』らしいということです。

オリジナル版は1996年に発売されましたが、思えば当時は、ちょっと厭世的で「病んだ」作品が流行りました。

ゲーム自体は、まあ、ちょっと苦痛な面もありますが……。

BGMは結構好きです。

『√Letter ルートレター』がまさかのハリウッド映画化決定

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先日、『√Letter ルートレター』のハリウッド映画化が決定したとのニュースを見て、驚愕しました。

www.4gamer.net

 

√Letter ルートレター』は、2016年に角川ゲームスより発売されたアドベンチャーゲームです。

33歳の主人公が島根県松江市に帰省し、学生時代のペンフレンドにまつわる事件を調査する、という筋書きです。

昨今稀に見るタイプのゲームですが、しかし、世間的な評価はイマイチでした。

 

ところが、映画化に加えて、来月には『√Letter ルートレター Last Answer』という実写取り込みバージョンまで出るそうです。

(実写取り込みとは、『街 〜運命の交差点〜』『428 〜封鎖された渋谷で〜』などで用いられた手法です)

youtu.be

 

好評とはいえないゲームが、なぜこれほど多角的に展開できるのか?

実写化(国内での映画化、あるいは舞台化)はままあることですが、海外とは……。

ライセンス料が安いのでしょうか?まったくわかりません。

 

ただ、本作の設定には、スティーヴン・キング的な恐怖と懐郷の念を感じないわけでもありません。

アメリカの片田舎で、中年男性が顔も知らない旧友を探す旅に出る。そこに漂う殺人事件の気配。

スタンド・バイ・ミー』っぽい切り口で攻めれば、ワンチャンあるのかな、と思ったりもします。

なぜ『Fallout 76』は面白くないのか?

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先週発売したばかりの『Fallout 76』。残念ながら、世間ではクソゲー扱いされています。

そして、正直に言うと、僕もこの評価は妥当だと考えています。

なぜか?自分なりに少し考えてみました。

 

語り部が不在である

「環境ストーリーテリング」(Environmental Storytelling)をご存知でしょうか?

これは、あえて詳細を語らず、視覚・聴覚に訴えかけることで、プレイヤーにストーリーを推察させる手法です。

 

例えば、飛行機の残骸があって、機内には骸骨が座っている、という場面があったとします。

これを見た大多数のプレイヤーは、

「ここでは過去に飛行機の墜落事故があって、骸骨は乗客だったらしい」

と推察するはずです。

 

飛行機の残骸の前に語り部(Storyteller)が立っていて、

「ここでは過去に飛行機の墜落事故があった」

と説明されるより、想像力が掻き立てられて面白い、というわけです。

 

Fallout 76』は、この手法を存分に取り入れています。

というか、そもそもNPCに生身の人間、すなわち語り部が存在しません。

プレイヤーは記録された音声などから、核戦争が起こる前の世界を推察します。

 

しかし、この「環境ストーリーテリング」にも弱点があって、連発すると没入感を失ってしまいます。

「だったらしい」だけでは、過程も結果も不明瞭ですから。

そもそも、人間が死滅した世界において、頑張ってクエストを攻略する意味が薄いんですよ。 

だって、(アパラチアでは)もう全員死んでるんでしょ?

褒めてくれるのは、せいぜいロボットくらいなものです。

 

レイダーが不在である

レイダーとは、『Fallout』シリーズを代表するザコ敵(盗賊)です。

先述の通り、人間が死滅した世界に、彼らの姿はありません。

 

ただし、その意図は想像できます。

Fallout 76』はオンラインゲームです。レイダーがいなければ、プレイヤーの誰かがレイダーになればいいのです。

おそらく、そのためにNPCをなるべく排除したかったのではないかと。

在りし日の『Ultima Online』のように。

 

しかし、その割にはオンラインで他人とすれ違う確率が非常に低いです。

よって、ただ荒涼とした世界で、ミュータントとロボットを倒すだけのゲームになってしまいました。

僕は基本的に、友達と一緒に遊んでいるので寂しさは感じません。

が、このゲームを1人で遊ぶのは相当な苦行です。絶対にオススメしません。

 

ソフトウェアとしての完成度が低い

特筆するべきは、そのバグの多さです。体感で2、3時間に1回はクラッシュします。

Bethesda Softworksの作品だから仕方ない」

という無茶な擁護も散見されましたが、それは消費者をバカにした意見です。

 

また、グラフィックも操作性も悪いです。

なんというか、昔の洋ゲーを遊んでいる気分になりました。バタ臭くて、不親切で……。

しかし、もう平成も終わろうかというこのご時世に、これは厳しいです。

アサシンクリード オデッセイ』や『レッド・デッド・リデンプション 2』を見てください。

すこぶる高画質で、直感的にわかるように設計されているではありませんか。

 

「この手の大企業が作った製品には、なかかなか勝てない」というのはわかります。

でも、そろそろ、2000年前後のノリからは脱却しなければなりません。

 

Bethesda Softworksにオンラインゲームはそぐわない

要するに「なぜ『Fallout 76』は面白くないのか?」という問題は、

Bethesda Softworksの作風が、オンラインゲームに合わないから」に集約されます。

 

これまでの『Fallout』シリーズにおいても、主人公は勝手に口を開かず、徹底してプレイヤーの分身でした。

それゆえに、その主人公を補佐する語り部が多く登場し、常に問いかけてきたわけです。

「かくかくしかじかである。それで、君はどう行動するのだ?」と。

無視するのか、解決に手を貸すのか、あるいは、語り部を射殺して金品を奪うのか。

このような選択肢の提示と、結果の享受なくして、広漠たる荒野を歩く気にはなれません。

 

バグ満載でリリースせざるをえない企業体質も、まあ、ここでは作風としましょう。

これもオンラインゲームでなければ、Modで解決できた問題ですね。

グラフィックだって操作性だってそうです。

これまでModに(悪くいえば)頼ってきた企業には、あまりにも制約が強すぎます。

次回作は、ぜひともシングルプレイを重視してほしいものです。

我々は労働者を求めたが、やってきたのは人間だった

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タイトルは、スイスの作家マックス・フリッシュの言葉です。

下記の記事中にも引用されています。

www.jprime.jp

 

なかなかショッキングなニュースです。

僕は、外国人労働者受け入れの拡大はやむをえないと考えています。

しかし、果たしてこんな状況で、日本に来てくれるのでしょうか?

仮に来てくれたとしても、むしろ、後々まで禍根を残すような気がしてなりません。

『アサシンクリード オデッセイ』に頻出する単語「Malákas」とは?

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アサシンクリード オデッセイ』を英語音声でプレイすると、しばしば「Malákas」という言葉を耳にします。

これがどうも気になって、わざわざ英語字幕にして確認しました。

「Malákas(μαλάκας)」はギリシア語のスラングです。英和辞典には載っていません。

Wikipediaによると、意味は多岐にわたり、文脈に依存します。

が、基本的には喜怒哀楽の感情を表現する際に使うようです。

主人公が戦闘中にピンチに陥ると、このセリフを叫びます。

 

また、侮蔑語としての意味も持ちます。

上のスクリーンショットは、アレクシオスが去り際に「Malákes」と吐き捨てる場面です。

訳は「クソ野郎ども」くらいが適当でしょうか。

これは「Malákas」の複数形で、もちろん、背後の男2人に向けられた言葉です。

 

というわけで、大方の予想通り、悪いときに使われることが多い単語でした。

最初は、マラカスかマラッカにしか聞こえなくて難儀しました。

日本語と英語の字幕を同時に表示させる機能があれば楽なのですが。

映像で見る『銃・病原菌・鉄』

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『銃・病原菌・鉄』(『Guns, Germs, and Steel』)は、生物学者ジャレド・ダイアモンドの名著です。

インテリはみんな読むらしいので、僕もいつかは挑戦しようと考えていました。

しかし、いかんせん長くて……。

そんな折にYouTubeで検索すると、動画があるじゃありませんか。それも吹替版が!

まあ、これも全部見ると相当長いんですが。

(削除される可能性があるため、興味がある人は早めに見てください)

 

youtu.be

youtu.be

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『銃・病原菌・鉄』の概要を説明すると、

「地球規模において、持つ者と持たざる者を分ける要因とは何か?」

という根源的な問題に挑んだものです。

 

アメリカ人が資本主義の頂点に立つ一方で、パプア人は未だに狩猟と農業に終始する。

この差は、アメリカ人が優秀で、パプア人が優秀でないから生じたのか?

「否である」

と、ジャレド・ダイアモンドは言います。

彼の説は、環境決定論として批判の的になることもあります。

しかし、彼は続けます。

パプア人ではなくパプアニューギニアの土地に問題があるのだ、と。

パプアニューギニアには、麦または米のように、少ない労力で安定してカロリーを摂取できる穀物がありません。

また、豚以外に家畜化できる動物もいません。

よって、人々は余暇時間を持てず、今日まで文明が進歩する機会を逸し続けたそうです。

 

それにしても、よくできた動画です。

ナショナル・ジオグラフィックが絡んでいるのでしょうか?

この手のものを発見したら、またシェアしたいと思います。